9月7日、「いざ、鎌倉」ならぬ
「いざ、弘前大学」へ、
加藤謙一さんの顕彰イベントへ出席のため向かった。
附属図書館入って左側手前奥に「加藤謙一文庫」が設置されており、式典とテープカットが行われたが、元々狭いスペースな上、割と遅めに到着したので館内は既に人垣が出来ていて全く近寄れず、ほぼ死角から覗き見る形に…トホホ。
引き続き図書館正面玄関右、創立50周年記念会館の向かいにあたる場所に建てた
記念碑「なかよし」(加藤謙一が担任だった小学校のクラス雑誌名より)の除幕式。なんと記念植樹まで行う超本気モードだった。
さらに創立50周年記念会館二階の岩木ホールで「加藤謙一資料室」の内覧会に出席。
奥村潮さん(フリーアナウンサー)を聞き役兼司会に、加藤謙一さんの
四男・丈夫氏をメインコメンテイターとしたギャラリートークも行われ、充実の内容であった。
この展示会自体は
9月12日(日)午前10時から午後4時45分まで会期を残しているので、ブログ閲覧者で興味を持たれた方は、是非一度ご来場願いたい。
戦前の「少年倶楽部」、戦後の「野球少年」、そして漫画ファンにとってはもはや伝説の雑誌である「漫画少年」その他関連書籍を実際手にとって鑑賞できます。
「漫画少年」は大阪ローカルだった
手塚治虫(『ジャングル大帝』の連載をラフスケッチ見た瞬間即決)を全国区に押し上げ
、寺田ヒロオ、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、etc...をデビューさせることとなったが、発足当初は加藤一家による細々とした家族経営で、返本の山で居住スペースも無くなるほどに内情は火の車だったとか。
▲いわゆるトキワ荘平面図。左が寺田、森安、鈴木、右が安孫子(A)、藤本(F)、赤塚、石森(石ノ森)。手塚転居後に藤子の二人が入居した頃。現在は跡地に看板が建っているとのこと
参照:ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%AF%E8%8D%98
久々に大学食堂でカレーを食い、ペットボトルの冷たいほうじ茶を飲みながら、配られていた小冊子を熟読。
午後から2010年度シニアサマーカレッジで加藤丈夫氏の講義があるとのことだったので、そちらにも急遽参加。
講義はほぼ小冊子に準拠していたので偶然だが、予習が役立った。
「少年倶楽部」時代に同郷の大先輩・佐藤紅緑氏に少年向けの小説を依頼したら
「オレに洟垂れ小僧の小説を書けというのか!」云々と激怒され、
「子供は国の宝です。そんなに失礼なことなんですか?」云々と切り替えした話は語り草となっている(この時連載が決まった
『あゝ玉杯に花うけて』は大ベストセラーとなり、当時の少年少女に絶大な影響を与えることとなる)。
まるで漫画の一コマみたいだよ(笑)。
余談だが、
雑誌の漢字にルビを振るのも教員経験者で子供を「宝」と認識する氏ならではの発想であったらしい。
最後に加藤謙一さんの肉声の録音テープも披露されたが、実に
清々しいばかりの津軽弁に心和んだと同時に、これで名立たる人達と渡り合って、丁々発止の遣り取りをして来たのかと感慨深かった。
少子高齢化が加速度的に進む現代日本、
「宝」がどんどん減ってますなあ(未だ独身なので、ブーメランのように自分に跳ね返るのは承知の上だが…)。
大人の立場から見れば、子供を「宝」だと言い切れる大人が少なくなって来ているのかも知れないな(悲観的だが)。
こんな時代だからこそ
「熱い一流」加藤謙一さんの業績を再評価して光を当てることには意義があるのだと思う。
午後6時からの記念パーティーにも出席。
三村申吾青森県知事ご本人もあいさつに立ち、なかなか錚々たるメンバーが揃った。
同じテーブルの方々との名刺交換では、
現在無職ですと言い添えながら昔のモノをお渡ししたが、去就が定まらないと名刺の作り直しもままならんよなあ(鬱)。
中締め後に本日のメインイベント。
式典時では、あまりにおざなりになりそうなので、タイミングを図りに図って、
長谷川成一附属図書館長に直立不動でごあいさつ。
我ながらまるで漫画のような一コマ。もっと一廉の人物になってご対面したかったのだが、
人生の8割は皮肉で出来上がっているものらしい…。
実は大学時代、日本史でしごかれた恩師なのである。
長谷川先生の演習に備えて、顔面蒼白にてんぱった同じ教室の面々が、図書館の閉館時間間際まで
『古事類苑』やら
『寛政重修諸家譜』を引きまくってた姿は未だに
悪夢良い思い出だ。
モノの調べ方の基礎の基礎は、正にそこで培われたスキルで、今でも驚くほど色んなケースで役立っている。当時はただただ
恐怖そのもので一生懸命取り組んでただけだったのだが…。

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