【赤ちゃん返り】
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赤ちゃん返りを決して、安易に
考えてはいけない。
赤ちゃん返りは、子どもの心を
本能的な部分で、ゆがめる。
あるいは、さまざまな情緒障害の
引き金を引くきっかけともなる。
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●ゆがんだ心
赤ちゃん返りと呼ばれる、よく知られた現象が、子どもの世界には、ある。ところが、である。いろいろな心理学の本を見ても、この「赤ちゃん返り」について書いた本が、ほとんどない。(私は読んだことがない。)
これほどまでに重要な現象について、それについて書いた本がないというのは、どういうことか。だいたいにおいて、文字すら、定まっていない。「赤ちゃん返り」なのか、それとも「赤ちゃん帰り」なのか。
私は、一度、子どもが大きくなって、また赤ちゃんの心理状態に戻るという意味で、「返り」という文字を使っている。「返り咲き」の「返り」である。が、中には、「返り咲き」を、「帰り咲き」と書く人もいる。
となると、「赤ちゃん還り」でも、「赤ちゃん回り」でもよいことになる。しかし私はやはり、「赤ちゃん返り」が正しいと思う。現象的に考えると、そうなる。
その赤ちゃん返りについて、昨日、「なおりますか?」と聞いてきた母親がいた。しかしこうした、つまり一度ゆがんだ心は、なおらない。そのまま一生、つづく。ただ、表面的には、わからなくなる。そこで私は、「もぐる」という言葉を使う。
こういう例が、ある。
●もぐる子どもの心
下の子どもが生まれたことで、情緒が不安定になってしまった女の子(年中児)がいた。心の緊張感が、取れなくなってしまった状態と考えるほうが正しい。このタイプの子どもの心は、いつもある種の緊張状態にある。親に対して絶対的な安心感を覚えることができない。そのため、心が休まることがない。そこへ心配ごとや不安ごとが入ると、それを解消しようと、一気に情緒が不安定になる。
で、その女の子のばあい、たとえば幼稚園へ出かけるとき、あるいは、おけいこ塾へでかけるとき、決まってぐずったり、泣いたりした。が、一度、出かけてしまえば、ケロッとして、あとは何ごともなかったかのようにすませてしまう。
そういう姿を見て、その母親も、「二重人格者みたいです。なおるでしょうか?」と。
そこでその女の子の幼稚園での様子を見ると、ごくふつうの、何も問題のない子どもに見えた。その女の子が、家庭で、赤ちゃん返りを起こしているなどということは、幼稚園の保育士にも、わからないだろう。
が、この段階で、だれも、その女の子の赤ちゃん返りが(なおった)とは、思わない。その女の子のもう1つの心は、別のところにある。あって、顔を出さないだけである。だから、(もぐる)という言葉を、私は使う。
こうした例は、多い。たとえば、いじけやすい子ども、くじけやすい子ども、ひがみやすい子ども、ねたみやすい子ども、すねやすい子どもなどがいる。そういう子どもでも、環境さえそうでなければ、そういった症状は出てこない。時と場合に応じて、そういった症状が外に出てくる。
●程度と症状はさまざま
赤ちゃん返りも同じように考える。もっとも、その症状には、個人差と、程度の差がある。さらに症状も、(1)ネチネチと赤ちゃんぽくなる退行型、(2)下の子に攻撃的になる攻撃型、(3)服従的になる服従型、(4)ベタベタと甘えたりする依存型、(5)ものの考え方が破滅的になる破滅型などに分類される。
また同じ赤ちゃんぽくなる退行型にしても、しぐさや動作、ものの言い方まで赤ちゃんぽくなる子どももいれば、ただその時々において、グズグズするだけの子どももいる。またいろいろなタイプが複合することも珍しくない。退行型に依存型が加わるケースは、よく観察される。だからどの程度から赤ちゃん返りといい、またいわないかという判断は、むずかしい。
さらにこの赤ちゃん返りが、そののち、さまざまな情緒障害(自閉傾向、かん黙症など)の引き金を引くことになることもある。下の子が生まれたあと、心(情意)と表情が、遊離してしまった子ども(年中・女児)もいた。その母親は、「外見からは、何を考えているか、さっぱりわかりません」と心配していた。何があっても、いつもニタニタというか、ニヤニヤと、意味のわからない笑みを浮かべていたからである。
原因は、本能的な嫉妬心である。
●本能に根ざした嫉妬心
ここで「本能的」というのは、本人には意識できない、さらに奥深いところで起こる現象という意味である。だからそういう子どもを叱ったり、説教しても、意味がない。たとえば生後まもない赤ちゃんは、エンゼル・スマイルに代表されるように、(かわいさ)を親にアピールすることによって、自分の生存をはかろうとする。
つまりそれは赤ちゃんの意識的な行為というよりは、遺伝子そのものに組みこまれた。本能的な行為と考えるとわかりやすい。もしこの段階で、親から見捨てられたら、子どもは生きていくことができない。つまり、人類は、とっくの昔に絶滅していたことになる。
親から見て、かわいいから、親は子育てをする。そうでなければそうでない。
下の子に、親の愛情を奪われたという危機感をいだいた子どもは、その(かわいさ)を、再現することによって、もう一度、親の愛情を、すべて自分に取りもどそうとする。それが赤ちゃん返りである。
そのことは、赤ちゃん返りを起こしている子どもを見れば、わかる。
●NSさんのケース
印象に残っている女の子に、NSさん(当時、年長児)がいた。そのNSさんは、教室でも、片時も、母親から離れようとしなかった。母親のそばにいて、体をクネクネとくねらせながら、ネチネチと甘えていた。
「ウママア(ママ)、オウチイエ(おうちへ)、カイエリタイ〜(帰りたい)」と。
それを見て母親はNSさんを強く叱ったりしたのだが、叱れば叱るほど、逆効果。NSさんの症状は、ますますひどくなっていった。「おもらしは、毎晩のようにします」「月に、1、2度は、原因不明の熱を出します」と、母親は言った。
意識の世界で、自分の体温をコントロールすることはできない。だから私は、本能に近い、無意識の世界によって、彼女はコントロールされていると判断した。ここで「本能的」というのは、そういう意味である。
そのため対処のし方も、症状の内容と程度に応じて、ちがう。症状が軽ければ、そのまま一過性のものとして終わる。しかし重ければ、もう一度、100%の愛情を上の子に注ぎなおすところから始める。親は、「上の子も下の子も平等です」と言うが、その「平等」が、上の子には、不満なのだ。
あとは1年単位で、様子をみる。この問題には、本能的な嫉妬心がからんでいるだけに、容易には、なおらない。指導する側からすると、赤ちゃん返りを決して、安易に考えてはいけないということになる。
●なおそうと思わないこと
さて、冒頭で相談してきた母親だが、「なおりますか?」と聞いた。私は、「なおらない」と答えた。「なおそうと思わないことです」とも。しかしここで2つのことが言える。
1つは、もぐったまま、そのままわからなくなってしまうということはある。とくに赤ちゃん返りは、その時期特有の症状であり、その子どもが年齢的に成長し、自分を包む世界が変わってくれば、下の子をそれほど意識しなくなる。そのため赤ちゃん返りという、あの特有の症状は、外からはわからなくなる。
もう1つは、こうした(心のゆがみ)は、別の形に姿を変えやすいということ。たとえばよく「上の子どもは、下の子どもにくらべてケチ」と言われる。生活態度が、防衛的になるために、そうなると考えるとわかりやすい。
さらに上の子は、いじけやすくなったり、くじけやすくなったり、ひがみやすくなったり、ねたみやすくなったり、すねやすくなったりすることはある。そういう(心のゆがみ)に変化することはある。
ただここで誤解してはいけないのは、こうした(心のゆがみ)というのは、だれにでもあるということ。多かれ少なかれ、だれでにでも、ある。私も、あなたも、だ。だからそういう(ゆがみ)があるからといって、大げさに考えてはいけない。そういう(ゆがみ)を克服しながら生きていくのが、人間ということにもなる。
が、本来なら、そうならないように、下の子を妊娠したときから、上の子教育を始めるのがよい。「ある日、突然、下の子が生まれた」というような状況をつくると、まずい。それがわからなければ、あなたの夫が、ある日突然、愛人を家の中に招き入れたようなケースを想像してみればよい。
あなたは、果たして平静でいられるだろうか。あるいは夫が、「お前は愛人と、平等にかわいがってやっている」と言っても、あなたはそれに納得するだろうか。下の子が生まれたときの、上の子の心理は、それに近い。
こうして考えていくと、もうおわかりかと思うが、「嫉妬」には、悪魔的な力をもっている。赤ちゃん返りがこじれて攻撃的になると、上の子は、下の子を、殺す、あるいは殺す寸前までのことをする。それほどまでに、上の子の心がゆがむこともある。
重ねて言うが、赤ちゃん返りを、決して安易に考えてはいけない。
(はやし浩司 赤ちゃん返り 赤ちゃん帰り 赤ちゃんがえり)