●織田信長
昨日、小5のM君と、織田信長について、話をした。織田信長を理想の指導者として称える人も多い。郷里の岐阜県岐阜市では、毎年、信長祭りなるものをしている。M君も、そうした視点で、つまり信長は偉人であるという視点で、信長について調べていた。
私「織田信長は狂っていたというテーマで、夏休みの宿題を書くといいよ」
M「そんなことを書いたら、賞はもらえない」
私「何だ、賞をねらっているのか?」
M「そうだよ……」と。
しかし信長は、どこからどう調べても、おかしい。狂っていた。14歳で初陣に出たときから、殺戮(さつりく)と焼き打ちの繰りかえし。特筆すべきは、一向宗の弾圧である。一向宗の信徒を一か所に集め、兵糧攻めにしたあと、信長は一人残らず殺している※。
もちろん信長は、民衆のために戦った人ではない。民主主義や、自由、平等を求めて戦った人でもない。「日本を支配する」という己(おのれ)の、野望を満足させるために戦った人にすぎない。大義名分など、どこにもない。わかりやすく言えば、信長は我利我欲のかたまりのような人だった。
もちろん歴史は歴史だから、そうした人物であっても、そらなりの評価は必要である。しかし、信長という人物を一方的に美化するのは、たいへん危険なことでもある。以前、どこかの県知事は、信長を称え、「今の日本に必要なのは、信長のような人物である」と、新聞や月刊誌などで述べていた。
もしその県知事が、ほんの少しでも信長について勉強したら、そんな言葉は、口から出てこなかっただろう。あるいは信長が活躍した(?)ような、まさに恐怖政治の時代が、「理想の時代」とでも言うのだろうか。
同じようなことが、徳川家康についても言える。ただ家康については、その後つづく300年という江戸時代に、国策として徹底的に美化される一方、家康について都合の悪い記録は、それ以上に徹底的に抹消された。だから家康にまつわる、都合の悪い記録は、今、ほとんど残っていない。
が、それ以上に残念なのは、こうした問題について、この日本では、自由に討論する雰囲気さえないこと。とくにこの静岡県では、徳川家康は、「大偉人」として評価されている。家康の悪口を書いただけで、袋叩きにあう、そんな雰囲気さえある。
これでいいのか、日本!、……と問いかけたところで、この話は、おしまい。私ひとりくらいが叫んだところで、この流れを変えることはできない。これから先、何十年も、何百年も、織田信長にせよ、徳川家康にせよ、「偉人」と評価されていくのだろう。
ちなみに、中学校の教科書では、こうなっている。
「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。
注※1……北陸における一向一揆は、1488(長享2)年に、一向宗の門徒らが守護の富樫政親を攻め滅ぼしたのが始まる。以後、加賀は「百姓の持ちたる国」と呼ばれ、織田信長によって1582(天正10)年に鳥越城が落城するまでつづいた(参考:「織田信長BLOG」)。
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信長について書いたわけではないが、
以前、こんな原稿を書いたことがある。
(中日新聞発表済み)
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「偉い」を廃語にしよう
●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう
日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。
そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。
中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧の生活を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。
由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。
家康にしても、その後300年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結果でしかない。
……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこであなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。そこで提言。
「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。
「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。