●親離れ、子離れ
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子どもの親離れを、じょうずに
導く。
それが賢い親ということになる。
けっして依存心をもたせてはいけ
ない。
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子どもは小学3、4年を境に、急速に親離れを始める。しかし親はそれに気づかない。気づかないまま、親意識だけをもち続ける。またそれをもって、親の深い愛情だと誤解する。つまり子離れできない。親子の悲劇はここから始まる。
あの芥川龍之介も、「人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる」(侏儒の言葉)と書いている。
息子が中学1年生になっても、「うちの子は、早生まれ(3月生まれ)ですから」と言っていた母親がいた。
娘(高校生)に、「うす汚い」「不潔」と嫌われながらも、娘の進学を心配していた父親もいた。
自らはほしいものも買わず、質素な生活をしながら、「あんなヤツ、大学なんか、やるんじゃなかった」とこぼしていた父親もいた。あるいは息子(中2)に、「クソババア! オレをこんなオレにしたのは、テメエだ」と怒鳴られながら、「ごめんなさい。お母さんが悪かった」と、泣いてあやまっていた母親もいた。
しかし親子の間に、細くとも一本の糸があれば、まだ救われる。親はその1本の糸に、親子の希望を託す。しかしその糸が切れると、親には、また別の悲劇が始まる。親は「親らしくしたい」という気持ちと、「親らしくできない」という気持ちのはざ間で、葛藤する。これは親にとっては、身をひきちぎられるようなものだ。
ある父親はこう言った。「息子(19歳)が暴走族の1人になったとき、『あいつのことは、もう構いたくない』という思いと、『何とかしなければ』という思いの中で、心がバラバラになっていくのを感じた」と。
もう少しズルイ親だと、「縁を切る」という言い方をして、子育てから逃げてしまう。が、きまじめな親ほど、それができない。追いつめられ、袋小路で悩む。苦しむ。
子どもというのは、親の期待を1枚ずつはぎ取りながら、成長する。中には、最後の1枚まではぎとってしまう子どももいる。年ごとに立派になっていく子どもを見る親は、幸せな人だ。しかしそういう幸運に恵まれる親は、一体、何割いるというのだろうか。
大半の親は、年ごとにますます落ちていく(?)子どもを見せつけられながら、重い心を引きずって歩く。「そんな子どもにしたのは、私なんだ」と、自分を責めることもある。しかしそれとてもとをただせば、子離れできない親に、問題がある。
あの藤子F不二雄の『ドラえもん』にこんなシーンがある(18巻)。タンポポの種が、タンポポの母親に、「(空を飛ぶのは)やだあ。やだあ」とごねる。それを母親は懸命に説得する。しかし一度子どもが飛び立てば、それは永遠の別れを意味する。タンポポの種が、どこでどのような花を咲かせるか、それはもう母親の知るところではない。しかし母親はこう言って、子どもを送り出す。「勇気をださなきゃ、だめ! みんなにできることがどうしてできないの」と。
子どもの人生は子どもの人生。あなたの人生があなたの人生であるように、それはもうあなた自身の力が及ばない世界のこと。
言いかえると、親は、それにじっと耐えるしかない。たとえあなたの息子が、あなたの夢や希望、名誉や財産、それを食いつぶしたとしても、それに耐えるしかない。外から見ると、どこの親子もうまくいっているように見えるかもしれないが、それこそまさに仮面。子育てに失敗しているのは、あなただけではない。