●新学力観という、観点(役に立つ教育)
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役に立つ教育が、どうして
悪いのか?
「基礎学力」という言葉に
だまされてはいけない。
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「地面に立てたポールを利用して、太陽の高度を調べるにはどうしたらよいか。図解して説明せよ」という問題がある。
文部省が実施した「新学力テスト問題」の一つだが、中学一年生での正解率は、たったの10・4%(99年)。
しかしこんなことは、教育が始まる以前から、人間には常識だった。昔の人間は、皆、太陽の位置や影の長さで時刻を知った。今の子どもたちは、そんなことも知らないのかということにもなるし、裏を返せば、今の教育は一体、何を教えているのかということにもなる。
教育の基本は、「将来、子どもたちが生きていく上で、役にたつ知識や経験を、分け伝えること」ではないのか。そういう視点がないと、受験教育に代表されるように、教育がただ単なる点数稼ぎのための道具にされてしまう。
もっと言えば、教育が人間選別の道具にされてしまう。
ちなみに中学生にこう聞いてみればよい。「君たちは、なぜ勉強するか」と。大半の子どもたちは、こう答える。「高校へ入るため」「大学へ入るため」と。親にしてもしかり。勉強をしない子どもを叱るとき、「そんなことでは、いい大学へ入れないぞ」と叱ることはある。
しかし「将来、必要な知識が身につかないぞ」とは言わない。こうした教育がさらにいびつになると、幼稚園でかけ算の九九を暗記させたり、漢字の読み書きを教えたりするようになる。
一方、これは当然のことだが、子どもたちはその必要性を感じたとき、実に生き生きと学習し始める。私はときどき、「お金儲けごっこ」をするが、そのときもそうだ。それはこうして遊ぶ。
まず子どもたち(年長児)に、紙で作ったお金を渡す。そしてそれで折り紙を買わせる。大小さまざまな大きさの折り紙があって、それぞれ値段が違う。子どもたちはその買った折り紙で、いろいろなものを作る。絵を描く子どももいる。で、それができたら、今度はこちら側(教師)が、そのできたものを買いあげてあげる。じょうずにできたのは、高い値段で。そうでないのは、安い値段で。あとはこれを繰り返す。
ときどき、ほかの子どもが作ったものを、別の子どもに売ってあげることもある。20円で買いあげたものを、40円で売りつけたりすると、子どもたちは「ずるい、ずるい」と言うが、「これが資本主義の原理だ」などと、わざと難しい言葉で言ってやると、たいてい静かになる。さらに慣れてくると、子どもたちどうしで、ものの売買をし始めるようになる。
こうした動機づけがあると、あとは放っておいても、子どもたちは自ら、足し算や引き算をするようになる。多い、少ないの判断も、そして損得の判断もできるようになる。さらに「労働することの喜び」もわかるようになる。
文部省の新学力観では、「知識の獲得量ではなく、自分で考え、表現する力を重視する」となっている。私はこれには大賛成だが、ただし一言。こういう指導が全国一律になされるところにも、問題がある。中央官僚の一声で、全国の先生たちが、同じように行動する。それこそまさに全体主義ではないのか。私はむしろそちらのほうを心配する。