【子育て・あれこれ】
●寸劇指導法
具体性をともなわない指示は、子どもには意味がない。よい例が「友だちと仲よくするのですよ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。
こういうことを言っても、言う親の気休め程度の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもっていってあげてね。○○君は喜ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で先生が何と言ったか、あとでママに話してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるのですよ」というのもそうだ。
交通事故について話す前に、こんな例がある。その子ども(年長男児)は何度言っても、下水溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果がなかった。そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説明した。近所の家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。子どもは相当ショックを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ばなくなった。
交通事故については、一度、寸劇をしてみせるとよい。私も授業の中で、ときどきこの寸劇をしてみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみせるのである。
……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。子どもが苦しみながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」と泣き出すかもしれないが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜いてはいけない。迫真の演技であればあるほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、以後道路へは飛び出さなくなる。
もしあなたの子どもが、何度注意しても同じ失敗を繰り返すというのであれば、一度、この寸劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで納得する。
Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司
●性格は化学反応
子どもの性格は、環境によって大きな影響を受ける。ここにあげるのは、あくまでも一般論だが、たとえばつぎのようなものがある。
(1) ケチの長男、ズボラな二男……一般的に長男や長女は防衛に回ることが多く、そのためケチになりやすい。それに反して二男や二女は、モノにこだわらなくなり、気前よくなったり、ズボらになったりしやすい。
(2) 男一人と、女一人は、ともに一人っ子……男の一人と、女の子一人の家庭では、ともに一人っ子の性格をもちやすいことを言ったもの。ともにわがままで、社会性がなくなるなど。反対に双子というのは、互いによい影響を受けやすく、社交的で活発になる。
(3) 女二人は憎しみ相手……年齢の近い姉妹は、互いにはげしいライバルになりやすく、ばあいによっては、互いに憎しみあうことがある。私の知人の娘たちだが、一人の男性をとりあって、まさに殺し合い寸前までのことをしたという。
(4) 年上の姉と甘えん坊……年上のめんどうみのよい姉がいると、下の弟は、二人の母親をもったような状態になり、甘えん坊になりやすいことを言ったもの。
(5) 足して二で割ると、平均児……兄弟や姉妹では、互いにできふでき、性格などが正反対になりやすいことがある。兄には神経質に手をかけすぎたり、反対に弟は放任したりすることなどによるが、そういうとき親はよくこう言う。「足して二で割れば、お互いに平均児なんですけどねエ」と。
(6) 年の近い姉は、男まさり……男の間でもまれて成長すると、女の子も男まさりになったりする。そのときでも、すぐ下に弟がいたりすると、さらに男まさりになったりする。いわゆる姉御(あねご)タイプになりやすい。
(7) 末っ子は甘えん坊……末っ子が甘えん坊になるのは、親側に、「この子が最後だ」という思いが強いからである。そのため、どうしてもあれこれ手をかけてしまう。また親側にも、子育ての余裕ができ、子どもをより広い包容力で包むことができる。そのため末っ子は甘えん坊になりやすい。つまり依存心がつきやすい。
(8) まん中の子は、人なつっこい……兄弟や姉妹が三人以上いると、まん中の子どもは、愛情不足から、人なつっこくなりやすい。しかしその反面、心を許さないという面もある。
(9) 総領の甚六……長男や長女は、それだけ期待もされ、手もかけられて育つため、おっとりとした性格になることを言ったもの。つまりそれだけできが悪くなることを言ったもの。
これらは冒頭に書いたように、あくまでも一般論である。子どもというのも、置かれた環境の中で、長い時間をかけて性格がつくられていく。そういう面はたしかに否定できない。
Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司
●子どもの性質
子どもにも生まれつきの性質というものがある。その一つが、敏感児と鈍感児(決して頭が鈍感という意味ではない)。
たとえばA子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。
心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児をいうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約30%の子どもが、そうであるとみる。
一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。
このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろく、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さんのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。
……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももいる。
見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心にキズをつけてしまう。
ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。
このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言ってよい。
その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どういうことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。
Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司
●伸びる子ども、伸び悩む子ども
「あなたはどんどん伸びる」「あなたはすばらしい子になる」と。そんな前向きな暗示が子どもを伸ばす。実際、前向きに伸びていく子どもは、やや自信過剰なところがあり、挫折しても、それを乗り越えてさらに前に進んでいく力をもっている。
そういう意味でも、この時期、とくに幼児期から少年少女期にかけては、子どもはやや自信過剰なほうが、あとあとすばらしい子どもになる。
反対に子どもの「力」をつぶしてしまう親がいる。力というより、伸びる芽をつんでしまう。過関心や過干渉など。親はよく、「生まれつき……」という言葉を使うが、生まれつきそうであるかどうかは、神様でもわからない。(それとも、あなたは赤ちゃんを見て、それがわかるというのだろうか?)そういう子どもにしたのは、親自身にほかならない。
そこで伸びる子どもと、そうでない子どもを分けると、つぎのようになる。
伸びる子ども……ものごとに攻撃的かつ積極的。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口からよく出る。現実感が強く、ものの考え方が実利的になる。頼れるのは自分だけというような考え方をする。ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールができ、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。将来性のある創造的な趣味をもつ。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。前向きに伸びようとする。
伸び悩む子ども……ものごとに防衛的かつ消極的。「いやだ」「つまらない」という言葉が多い。ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりする。一時的な快楽を求める傾向が強く、趣味も退行的かつ非生産的。たとえば意味もないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。衝動性が強くなり、ほしいものに対して、ブレーキをかけられない。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識がない。