●定年帰農(?)
田舎暮らしが、ブームになっている。定年帰農という言葉も、生まれた。老後は、農村で……というわけである。
しかし一言。田舎生活は、そんな甘くない! 都会に住んでいる人は、田舎生活を、軽く考える傾向がある。都会の人は田舎に対して、ある種の優越感をもちやすい。都会的優越感というのが、それである。
たとえば今、都会に住んでいるあなたが、家と土地を買って、田舎に移り住みたいと考えていたとする。土地は安い。より広い土地を手にすることができる。畑といっても、遊び程度にできればよい、と。
こういうとき、あなたが一番先に考えなければいけないのは、田舎の人を、ナメてはいけないということ。NHKの昼の番組に、『昼xx、日本』というのがある。ああいう番組などを見ていると、都会の人なら、だれでも簡単に、田舎に入っていけると思うようになるかもしれない。田舎の人は、純朴で、心が広い、と。
しかしそれは、とんでもない誤解である。
田舎の人が、純朴でないとか、心が広くないとか、そんなことを言っているのではない。
もしあなたがタダの人なら、あっという間に、その田舎から、はじき飛ばされてしまう。仲間には、絶対になれない。なれるわけがない。田舎の人は田舎の人で、あの鼻持ちならない、都会的優越感というものが、どういうものか、よく知っている。その都会的優越感を、田舎の人が感じたとき、あなたは、確実に、その世界から、はじき飛ばされる。
当然のことである。
あるテレビ番組に、お笑いタレント風の男が、突然、田舎の家を訪問し、用意してあった昼食などをもらって食べるというのがある。ああいうことができるのは、バックにテレビカメラがあるからである。
でないというなら、もしあなたの家に、今、突然、田舎の人がやってきて、「お宅の昼食を食べさせてください」と言ったら、あなたはどうするだろうか。どう反応するだろうか。「さあさあ、どうぞ、召しあがってください」などと、あなたは、言うだろうか。
その意識は、都会も、田舎もない。むしろ田舎の人のほうが、頭にカチンとくるにちがいない。
そこで今、定年帰農という言葉が、もてはやされるようになった。公的な「ふるさと回帰センター」というのも、全国のあちこちにつくられるようになった。その背景には、農業従事者の高齢化問題と、後継者不足問題がある。
しかし「ふるさと回帰」と、「定年帰農」とは、まったく異質のものである。ふるさとイコール、農家ではない。このあたりを混同すると、たいへんなことになる。
事実、浜名湖の北に、定年後、農業を夢みて集まった人だけが作った村(コミュニティー)がある。マスコミニにも大きく紹介されて、その当初は、派手なスタートを切った。
しかしそれから約10年。ほとんどの人が、また、その村を離れ、都会にもどっている。地元の小学校の校長は、こう話してくれた。「結局は、地元に溶けこめなかったのですね」と。もっとはっきり言えば、「そんな甘くない」と。
農業が楽な仕事と思ったら、たいへんな誤解。とんでもない誤解。都会で、サラリーマン生活をしているほうが、ずっと楽。「自然に親しむ」などということは、都会にいるからこそ、できること。農業をするということは、毎日が、その自然との戦いということになる。自然は、決して、甘くない。
都会の人と、田舎の人の意識のギャップは、大きい。少し前、長野県で、リンゴ園を経営している友人が、こう話してくれた。
「何が頭にくるかといって、ときどき町の連中が、オレたちの田舎へやってきて、家庭菜園をしているのを見るときぐらい、頭にくることはない。あいつら、革靴をはいて、畑をたがやしてやがる。ああいうのを見ると、オレたちの仕事を、バカにしているとしか、思えない」と。
この意識のギャップを、あなたは理解できるだろうか。つまり、なぜその友人が頭にきているか、それを理解できるだろうか。もしできれば、あなたは田舎出身の人とみてよい。わからなければ、あなたは都会出身の人とみてよい。