●若者たちの活字離れ
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ネット・サーフィンをしていたら、こんなコラム
が目についた。
「テレビ、携帯電話、インターネットは、若者
たちから、考える力を奪う」「何としても、これらを
子どもに近づけてはならない」※と。
「活字離れ現象は、文化の崩壊を予言するもの」とも。
これを読んだとき、私は、「どうしてインターネットが?」と、
思ってしまった。
「ギャグ番組や携帯電話は、若者たちから・・・」
というのであれば、そのとおり。私納得する。
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何度も書くが、(情報)と(思考)は、まったく別のもの。情報が多いからといって、賢いということにはならない。たとえば幼稚園児が、掛け算の九九をペラペラと口にしたからといって、その子どもに、算数の力があるということにはならない。
その人の賢さは、(考える力)によって、決まる。そこでこのコラム。こうある。
「テレビ、携帯電話、インターネットは、若者たちから、考える力を奪う」「何としても、これらを子どもに近づけてはならない」と。
テレビといっても、内容はさまざま。携帯電話については、私も、同感。ただインターネットについては、一概に、そうも言えないのではないか。親たちの中には、(インターネット嫌悪性)というのがあって、インターネット、イコール、「悪」と考えている人も少なくない。「子どもには、ぜったい、インターネットをさせない」とがんばっている親もいる。
しかしこと、「悪」ということになれば、悪は、さまざまなルートを通して、子どもの世界に入ってくる。インターネットだけを遮断しても、ほとんど、意味はない。
少し話がそれたが、「考える力」はどうか? ……私は、これも使い方の問題だと思う。BLOGにしても、読みごたえのあるのも、多くなった。他人の意見を読み、それに自分の意見を加えていく。その過程で、考える力が、養われる。
もし「インターネットが、若者たちから考える力を奪う」というのであれば、それは一過性のものではないか。たとえて言うなら、インターネットの世界は、すでに世界の大河になっている。その大河の中に、棒を1本や2本立てたくらいで、水の流れを止めることはできない。要は、使い方の問題ということ。
さらに「活字離れ」についても、一言。
この問題は、そのまま国語教育に直結する。日本でも最近、図書館教育に力を入れるようになってきている。が、アメリカなどには、「ライブラリー」という時間がある。たいてい週1時間の授業だが、先生が、それぞれの子どもに合った本を選び、貸し与えている。
この指導にあたるのは、修士号以上の資格をもった教師に限られている。つまりそれくらい、ライブラリーの授業には、力を入れているということ。
むしろ現場で「活字離れ」を感ずるとしたら、コミックがあげられる。休み時間ともなると、子どもたちは、どこからもってきたのか、それぞれが無言のまま、コミックをよみふける。活字の本を読んでいる子どもは、まず、いない。
だからといって、コミックを否定してはいけないが、この問題は、もっと根が深いということ。
少し気になる記事だったので、コメントしてみた。
(注※)日本最大手の学術出版社・岩波書店に40年間勤務し、うち6年間は社長を務めたベテラン編集者・OT氏(68)が来韓した。OT氏は03年に社長を退いた後、新聞社・出版社関係者と活字文化推進委員会を設立、児童・生徒の朝読書や子ども読書奨励運動に携わっている。
OT氏は「“考える力を抹殺するテレビやインターネットは何としてでも子どもに近付けてはならない”というノンフィクション作家・柳田邦男氏の主張に全面的に共感する」と語った。
「携帯電話・インターネット・テレビに取りつかれた日本の若者の活字離れ現象は、文化の崩壊を予言するもの。このような没落の道を韓国が辿らないことを望んでいる」
(朝鮮N報、07年11月)