●時刻表的生活
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昨日は、佐鳴湖のそばにある、
カレー・レストランで、カレー
ライスを食べた。
おいしかった。
で、仕事が終わったのが、午後
8時半ごろ。ワイフが、車で
迎えにきてくれた。
この12月1日に封切りになる、
「マリア」のチケットを買うため。
私とワイフは、そのまま映画館に
向かった。
チケットは、買えた。やや後方の
中央席。ラッキー!
ついでに電光の案内板を見ると、
「マイティ・ウーマン」が始まる
ところだった。
「見ていこうか?」と声をかけると、
「ウン」とワイフ。
それでその映画を見てきた。
ブラッド・ピット監督映画だった
というが、騒がしいだけの映画。
星は1つの、★。しかし昼に
食べたカレーライスの味が
胃袋に残っていて、星は、2個。
「1日で、パキスタンを旅行した
ような気分になった」と私。
「パキスタンは行きたくないわ」と、
ワイフ。
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「時刻表的生活」というのがある。毎日、時刻表通りの生活をすることをいう。そういう生活をしている人は、少なくない。概して言えば、高齢者に多い。
が、私たち夫婦は、常に、「非時刻表的生活」。仕事そのものは、分刻みで、しなければならない。3時00分から3時50分……と。その反動からか、私は、それ以外の世界で、時刻に縛られるのが、いや。結婚当初、さらには子どものころから、時刻や時間を気にせず、自由、気ままに生きてきた。
私もワイフも、もとを正せば、不良。ハハハ。これはほんとう! 今でこそ、まじめそうな顔をしているが、中身は、不良!
結婚当初は、ほんとうに自由だった。自由というより、メチャメチャ。午前中は幼稚園で仕事をし、午後からは、そのまま香港や、台湾、シンガポールへ。夕方から夜にかけて商談をすまし、夜行便で羽田へ。そしてまた幼稚園へ。
夜中の1時、2時に、ワイフとドライブにでかけるのも、日課のようになっていた。帰ってくるのは、いつも明け方。映画もよく見た。ラブホテルへもよく行った。その基本は、今も変わっていない。
ただ子育てをしている間は、少し、まじめ(?)になった。が、子育ても終わった今、私たちを束縛するものは、何もない。
私「若いころに、もどったみたいだね」
ワ「そう……」と。
ということで、昨夜も、深夜劇場へ。観客は、私たちを含めて、たったの5人! ワイフは、「貸し切りよ」と、子どものように喜んでいた。(映画館の人には、申し訳ないが……。)
「♪……いくら足が長くても、前の席を蹴らない……」という注意に合わせて、私は、前の椅子を、足で、ポンポンと蹴ってやった。ハハハ!
ところで昨夜見た、「マイティ・ハート」は、アカデミー賞の受賞候補になっていたという。今朝、ワイフがそう言った。
私「アメリカ人の傲慢さだけが目立つ、イヤな映画だった」
ワ「そうね。アメリカ人は、世界中、どこでも大切にされるべきって、そんな雰囲気ね」
私「そう。もしあれが、日本人や、インド人なら、パキスタン政府は、ああまで動かなかっただろうね。それにアメリカ人ほど、強く、パキスタン政府に出なかったと思うよ」と。
しかしやはり星は1つの、★。ほとんど印象に残らない映画だった。最初から最後まで、ドタバタの連続。つまり、新手のドタバタ映画。(ごめん!)ハッピーエンドだったら、まだよかったが、それもなかった。
帰ってきたのは、12時、少し前。そのままふとんにもぐって、眠った。
●時刻表的生活
朝、5時に起床。朝5時半に、雨戸をあけて、カーテンを開ける。7時に洗濯をすまし、朝食はきっかり、午前7時半……。夏も冬もない。晴の日も雨の日もない。
そういう生活を、「時刻表的生活」という。東洋医学でも、そういう生活は、健康のための第一条件と教える。しかしものごとには、程度というものがある。ある程度の規則性は大切だが、それが5分刻み、さらには1分刻みになったら、「?」。へん。おかしい。異常。
つい先日亡くなったが、A氏(享年86歳)という男性がそうだった。毎日の生活のみならず、1週間単位、さらには1か月単位でも、「時刻表的生活」を繰りかえしていた。晩年になると、家から一歩も外に出ず、1分単位で、規則正しい生活を繰りかえしていた。
そのため近所の人には、「時計」というニックネームで呼ばれていた。その人の行動を見れば、時刻がわかったからである。
で、ある種の認知症にかかると、生活習慣が、時刻表的になることはよく知られている。つまり脳みそが硬直化し、がんこになる。私の兄も、そうだった。グループホームへ入る前は、誤差にして、プラスマイナス10分前後の生活をしていた。
夏でも冬でも、午後6時ごろになると、カーテンをしめ、ドアにカギをかけた。7時になると、夕食をせがんだ。「?」と思っている間に、認知症がどんどんと進んでしまった。そういうケースもあるから、時刻表的生活というのは、けっして、好ましいものではない。
ある程度は、フレキシブルに生きる。その(変化)が、脳みそに、よい刺激を与える。それに時刻表的生活というのは、おもしろくない。本人はともかくも、まわりの人には、おもしろくない。
反対に考えると、生活が、どこか時刻表的になってきたら、要注意ということになる。子どもの世界でも、(がんこ)は、クセモノ。自閉傾向(「自閉症」ではない)が、進むと、がんこな様子を見せるようになる。
毎日、同じ青いズボンでないと幼稚園へ行かないとか、幼稚園でも、毎日、同じ席でないと座らないとか、など。ひとつの(殻=から)の中にこもってしまう。こもると、本人自身も、身動きが取れなくなってしまう。それが典型的な形で現れるのが、かん黙児ということになる。家の中などでは、ふつうに会話ができるが、外の世界では、貝殻を閉ざしたかのように、黙ってしまう。
子どものばあいは、(情緒)の問題ということになる。高齢者のばあいは、(脳みそ)の問題ということになる。
ではどうすれば、時刻表的生活を、私たちは、避けることができるか?
一般論からすれば、子どもの頭のよし悪しは、思考の柔軟性で決まる。臨機応変に、その場であれこれ対処できる子どもは、頭がよい。伸びつづける。
同じように考えると、高齢を迎えて、思考性から柔軟さが消えたら、それだけ、脳の老化が進んだと見てよい。言いかえると、高齢になってからも、新しい分野に挑戦していく。興味をもつ。そういう前向きな姿勢が、脳の硬直化を防ぐ。
さて、私のこと。兄は兄だが、今のところ、私は、だいじょうぶなようだ。ワイフも、だいじょうぶなようだ。そのつど、臨機応変に、行動している。変化のある生活を楽しんでいる。
ついでに、子どもの(がんこ)について書いた原稿を、さがしてみた。
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●伸びる子、伸びない子
伸びる子どもには、いくつかの特徴がある。
(1) 思考が柔軟で、
(2) 好奇心が旺盛、それに
(3) 生活力(忍耐力)がある。
思考が柔軟ということは、たとえばおとなの冗談が通ずる。反対に頭のかたい子どもは、おとなの冗談が通じない。こんな会話をする。
私「今日はいい天気だね」
子「雲があるから、いい天気じゃない」
私「雲があってもいい天気だよ」
子「雲があるから、いい天気じゃ、ない!」と。
好奇心が旺盛ということは、一人で遊ばせておいても、身のまわりから次々と、新しい遊びを発見したりすることをいう。そうでない子どもは、「退屈だア」とか、「早くおうちへ帰ろうヨ〜」などと言ったりする。また好奇心の旺盛な子どもは、新しいことを見せると、「やる! やる!」と食いついてくる。趣味も多く、多芸多才。友だちも多い。
そして忍耐力。子どもの忍耐力は、「いやなことをがまんしてする力」のことをいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末できる。寒い夜、回覧板を隣へ届けることができる、など。忍耐力のない子どもは、「いやだア」と言って、逃げる。よく「うちの子どもは、サッカーだと一日中しています。そういう力を勉強のほうに向けたい」と言う親がいるが、その子どもは好きなことをしているだけ。サッカーを一日中しているからといって、忍耐力がある子どもということにはならない。
反対に子どもを伸ばすには、この三つのことに心がける。たとえば頭をやわらかくするためには、いつも子どもの周囲に何らかの変化を用意する。
ある母親は、娘のために一日とて同じ弁当を作らなかった。そういう姿勢が、その子を伸ばした。その娘はやがて女流作家になり、ある都市の教育委員長にまでなった。要するに、生活のハバを広くせよということ。その一例というわけではないが、昔から転勤族の子どもは頭がよいという。つまり転勤という大きな環境的変化が、子どもによい影響を与えると考えられる。
好奇心を旺盛にするためには、親自身が自分の世界を広めるつもりで努力する。そして子どもにいつも、それを体験させる。子どもがある特定のものに執着したり、固執したりするのは、あまり好ましいことではない。たとえば虫なら虫ばかりに興味をもつとか、あるいは特定のズボンでないと、幼稚園へは行かないとがんばる、など。
最後に生活力(忍耐力)をつけさせるためには、子どもを使って使って、使いまくる。もう少し具体的には、家庭の緊張感の中に子どもを巻き込むようにする。「あなたがこれをしなければ、家族の皆が困るのだ」というような雰囲気を、家庭の中に作る。親がソファの上に寝そべりながら、子どもに向かって、「新聞を持ってきなさい」は、ない。
伸びる子どもは、ほかの子どもたちが伸びを止めるようなときでも、そのまま伸び続ける。そしていやなことや困難なことがあっても、それを乗り越えていく。そして結果として、ほかの子どもより伸びる。
ただしここでいう「伸びる」というのは、学習面で伸びるということではない。勉強ができるできないは、あくまでも、その結果でしかない。
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●がんこな子ども
「がんこな子ども」というときは、ふつう、つぎの二つのタイプを考える。(1)自分のカラにこもり、かたくなな態度や様子を示す。ある男の子(年長児)は、幼稚園で、いつも同じ席でないと座ろうとしなかった。また別の男の子(年長児)は、毎朝、いつも同じズボンでないと、幼稚園へ行かなかった。ほかに二年間、毎朝迎えにきてくれる幼稚園の先生に、一度もあいさつをしなかった子どももいた。
もうひとつは、(2)「自分が絶対正しい」と、かたくなになることをいう。このタイプの子どもは、その返す刀で、「相手は絶対にまちがっている」と主張する。そして結果として、自分の思いどおりにならないと気がすまない。あるいは自分の思いどおりにしてしまう。教える側からみると、ともに何を考えているかわからないタイプの子どもということになる。ふつう心と表情が遊離するため、柔和な表情や、穏やかそうな顔つきになることが多い。
こうした「がんこさ」は、子どもにとっては好ましくない。子どもの心に何か変調が起きると、子どもはがんこになる。で、その対照的な位置にある子どもが、「すなおな子ども」ということになる。
心と表情が一致している子ども、心のゆがみのない子どもを、すなおな子どもという。うれしいときは心底、うれしそうな表情をする。悲しいときは、心底悲しそうな表情をする。親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、その親切ややさしさが、そのままスーッと子どもの心の奥にしみこんでいくのがわかる。なおここでいう「心にゆがみのある子ども」というのは、ひねくれたり、つっぱったり、いじけたりしやすい子どもをいう。
子どもにこうしたがんこな様子が見られたら、子どもをなおそうと考えるのではなく、家庭環境、とくに親子関係を反省する。もちろん生来の問題もあるが、コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、一年単位で様子をみる。
私はこのタイプの子どもを預かったときには、とにかく大声で笑わせることだけを考えて指導する。実際、その「大声で笑う」という行為には、不思議な力がある。もしあなたの子どもが、ここでいうような「がんこさ」を見せたら、どんな方法でもよいから、大声で笑わせることに心がけたらよい。大声で声を出させるのもよい。
(02−9−25)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 がんこな子ども 子どものがんこ 子供のがんこ がんこな子供)