● 山荘で
山荘の周辺は、少し前までは、豊かなミカン畑に包まれていた。しかしここ5〜10年のあいだ、減反につづく減反で、そのミカン畑が、どんどんと姿を消した。
理由は、この静岡県のばあい、(1)産地競争に負けた、(2)ミカンの消費量が減少した、(3)農業従業者が高齢化した、それに(4)外国からの輸入ミカンとの価格競争に負けた。加えて、この静岡県の人たちには、「どうしても農業をしなければならない」という切実感がない。
とくにこの浜松市は、農業都市というよりは、工業都市。それなりに栄えている。「農業がだめなら、工場で働けばいい」という考え方をする。
産地競争というのは、この静岡県は、愛媛県、熊本県との競争のことをいう。ミカンは暖かい地方から先に、出荷される。静岡県のミカンは、季節がら、どうしても出荷が遅れる。遅れた分だけ、価格がさがる。だからどうしても価格競争に負ける。
ミカンの消費量が減ったのは、それだけミカンを食べなくなったということ。「皮をむくのがめんどう」と言う人さえいる。皮をむくことで、「手が汚れる(?)からいやだ」という人さえいる。
農業従事者の高齢化の問題もある。ミカン栽培は、基本的には、重労働。ほとんどのミカン畑は中間山地にある。斜面の登りおりが、高齢化した農業従事者には、きつい。
最後に、このところ、外国からの輸入が急増している。あのオーストラリアからでさえ、温州(うんしゅう)ミカンを輸入しているという。
そこで、静岡県のミカン産業は、どうしたらよいのかということになる。
● 外国との競争
オーストラリアでのミカン栽培は、そもそも規模がちがう。大農園で、大規模に栽培する。しかも労働者は、中国人やベトナム人を使っている。もともと日本にミカンに勝ち目はない。
本来なら日本も、その時期には、外国人労働者を入れて、生産費用を安くすべきだった。しかし日本の農業、なかんずく農林省のグローバル化が遅れた。遅れたばかりか、むしろ、逆にグローバル化に背を向けた。が、それだけではない。
現在の農業は、まさに補助金づけ。それはそれで必要な制度だったかもしれないが、この半世紀で、日本の農家は、自立するきびしさを、忘れてしまった。
このあたりの農家の人たちでさえ、顔をあわせると、どうすれば補助金を手に入れることができるか、そればかりを話しあっている。
ここでは省略するが、農家の補助金づけには、目にあまるものがある。農協(JA)という機関が、その補助金の、たれ流し機関になっていると言っても、過言ではない。が、それ以上に、もう一つ、深刻な問題がある。
実は農業に従事する人たちの、レベルの問題がある。M氏は、「おおっぴらには言えないが、しかしレベルが低すぎる」(失礼!)と。それを話す前に、こんなことがあった。
● レベルのちがい?
私が学生で、オーストラリアにいたころ、私は、休暇になると、友人の牧場に招待された。そこでのこと。友人の父親は、夕食後、私たちに、チェロを演奏して聞かせてくれた。彼の妻、つまり友人の母親は、アデレード大学の学士号を取得していた。
私は、「農業をする人は、そのレベルの人だ」という、偏見と誤解をもっていた。だから、この友人の両親の「質」の高さには驚いた。接客マナーは、日本の領事館の外交官より、なめらかで、優雅だった!
これには、本当に、驚いた!
つまりこうした学識の高さというのが、オーストラリアの農業を支えている。が、とても残念なことだが、日本には、それがない。(最近、若い農業経営者の中には、質の高い人がふえてきているが……。)
一方、この日本では、M氏の話によれば、戦前には、大学の農学部門にも、きわめてすぐれた研究者がいたという。しかし戦後、経済優先の社会風潮の中で、農学部門には目もくれず、優秀な人材ほど、ほかの部門に流れてしまった。
このことは、大卒の就職先についても、言える。
私が学生のころでさえ、地方に残った若者たちは、負け組と考えられていた。その中でも、農業を継いだ若者たちは、さらに負け組と考えられていた。たいへん失礼な言い方だとは思うが、事実は事実。当時は、だれもが、そう考えていた。M氏は、さらにつづけてこう言った。
「農繁期には、中国や東南アジアから、季節労働者を呼び、仕事を手伝ってもらえばよい。農業を大規模化するため、産業化、工業化すればよい。
しかしそういうグローバルなものの見方や、経営的な考え方をすることができる人が、この世界には、いない。それがこの日本の農業の、最大の問題だ」と。
● おかしな身分制度
ところで江戸時代には、士農工商という身分制度があった。江戸時代の昔には、農業従事者は、武士についで2番目の地位にあったという。それがどういうものであったかは、ただ頭の中で想像するだけしかない。しかしまったく想像できないかといえば、そうでもない。
私が、子どものころでさえ、「?」と思ったことがある。
私の実家は、自転車屋。士農工商の中でも、一番、下ということになる。それについて私は、子どもながら、「どうして商人が、農家の人より下」と思ったのを覚えている。
もちろん仕事に上下はない。あるはずもない。ないのだが、しかし私が子どものころには、はっきりとした意識として、それがあった。「農業をする人は、商業をする人よりも、下」と。
こうした社会的な偏見というか、意識の中で、日本の農業は、国際化の波に乗り遅れてしまった。今の日本の農業は、国からそのつどカンフル注射を受けながら、かろうじて生きながらえているといった感じになってしまった。それが実情である。
●職業観の是正
もう一つ、話が脱線するが、今でも、おかしな職業観をもっている人は、少なくない。私も、そうした職業観に、いやというほど、苦しめられた。
私が「幼稚園で働いている」と話したとき、高校時代の担任のT氏は、こう言った。「林、お前だけは、わけのわからない仕事をしているな」と。
近所のS氏も、酒の勢いを借りて、私にこう言ったことがある。「君は、学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事にありつけなかったのだろう」と。
私の母でさえ、「幼稚園の先生になる」と話したとき、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア」と、電話口の向こうで、泣き崩れてしまった。
そういう時代だったし、今でも、そうした亡霊は、この日本にはびこっている。いないとは言わせない。つまりそういう亡霊が、私が子どものころには、もっと強くはびこっていた。農業従事者を「下」に見たのは、そういう亡霊のなせるわざだった。
が、もう、そういう時代ではない。またそういう時代であってはいけない。大卒のバリバリの学士が、ミカン畑を経営しても、何もおかしくない。仕事で山から帰ってきたあと、ワイングラスを片手に、モーツアルトの曲を聞いても、何もおかしくない。
●結論
私は、M氏の話に耳を傾けながら、これは農業だけの問題ではない。静岡県だけの問題でもない。日本人が、広くかかえる問題であると知った。もちろん教育の問題とも、関連している。さらにその先では、日本独特の学歴社会とも結びついている。
が、今、日本は、大きな歴史的転機(ターニング・ポイント)を迎えつつある。それはまさに「革命」と言ってよいほどの、転機である。
出世主義の崩壊。権威の崩壊。それにかわって、実力主義の台頭。
そこであなた自身は、どうか、一度、あなた自身の心に、こう問いかけてみてほしい。
「おかしな職業による上下意識をもっていないか」と。
もしそうなら、さらに自分自身にこう問いかけてみてほしい。
「本当に、その意識は正しいものであり、絶対的なものか」と。その問いかけが、日本中に広がったとき、日本は、確実に変る。
(040509)
【追記】
その人がもつ職業観というのは、恐らく思春期までにつくられるのではないか。職業観というよりは、職業の上下観である。
この日本には、(上の仕事)と、(下の仕事)がある。どの仕事が(上)で、どの仕事が(下)とは書けないが、日本人のあなたなら、それをよく知っているはず。
こうした職業の上下観は、一度、その人の中でつくられると、それを変えるのは、容易なことではない。心境の大きな変化がないかぎり、そのまま一生の間、つづく。
もっともこの問題は、あくまでも個人的なものだから、その人がそれでよいと言うのなら、それまでのこと。しかしだからといって、その価値観を、つぎの世代に押しつけてはいけない。
さてここでクエスチョン。
もしあなたの子どもが、あなたが(下)と思っている仕事をしたいと言い出したら、そのとき、あなたは何と言うだろうか。そのことを、少しだけ、あなたの頭の中で、想像してみてほしい。