●「日本」の謎
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「日本」がもつ、最大の謎。
それは、日本が、なぜ「日本」なのか。
日本という国の名前を、「ニッポン」と、
音読(中国式の読み方)すること自体、
おかしい。
また、「日本」とは、読んで字のごとく、
「日の本(もと)」、つまり、
「太陽が昇る国」という意味
である。
が、どうして日本が、その
「太陽が昇る国」なのか?
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私がUNESCOの交換学生で、韓国にいたとき、こんな話を聞いた。話してくれたのは、金素雲という名前の歴史学者だった。当時の韓国を代表する文化人でもあった。
「日本の都の奈良は、韓国人が創建した都市だ。韓国から見て、(地の果てにある国)という意味で、『奈落』とした。『ナラ』という言葉は、今でも、韓国語では、『国』を意味する。
しかし『奈落』では、まずい。で、そのあと、『落』という文字を、『良』にかえ、『奈良』とした」と。
私が「証拠がありますか?」と食い下がると、金素雲氏は、笑いながら、こう言った。「仁徳天皇の墓を発掘すれば出てくるはずです」と。
で、この話と少し関連するかもしれないが、日本が、なぜ、「日本」なのかという謎がある。わかりやすく言えば、いつ、だれが、この国を、日本と呼ぶようになったかということ。
「日本」という国の名前は、もともとは、「日の本(もと)」という意味である。「太陽が昇る国(Country of the Rising Sun)」という意味である。となると、おかしなことになる。日本は、自ら、自分の国を、「太陽が昇る国」と名づけたことになる。
つまり日本が、その太陽が昇る国であるかどうかは、日本の西側にある国に住んでいる人でないとわからないはず。日本人自身が、自らの国を、「太陽が昇る国」と名づけたとするなら、その視点そのものが、おかしい。(反対に日本が、「日没の国」という名前であったとしたら、どうなるのか。そういう視点で考えてみると、わかりやすい。)
もし「日本」という名前を決めた人が、日本人であるとするなら、その人は、きわめて国際的な感覚をもっていた人ということになる。少なくとも、一歩でも、日本から外へ出たことのある人でないと、そういう発想は、わいてこない。
日本は、その昔、「倭(わ)」と呼ばれていた。「倭の国」とも呼ばれていた。「倭」というのは、「伽耶※(かや)」(任那の古称。その任那には、日本府が置かれた)の別称でもあった。その「倭の国」が、いつごろからか、今の「日本」という名前で呼ばれるようになった。
それについて、韓国の、ある貿易会社の理事(S社P氏)は、こう書いている。P氏は貿易会社の理事をしながら、一方で、歴史学者としても、知られている。
「『日本』という国号を創案したのは、7世紀の高句麗僧・道顕である」と。
つまり日本という名前を考案したのは、韓国人(高句麗人)だった、と。
たいへんショッキングな意見だが、しかし、この説に従うと、日本がなぜ『日本』なのかという謎が、解ける。韓国から見れば、日本は、たしかに「太陽が昇る国」である。だから日本は、「日本」になった?!
P氏は、こうつづける。「つまり古墳時代はもちろん、奈良時代まで、古代日本の主流階層は、韓半島(朝鮮半島)から渡った渡来人だった」(同氏著「日本の源流を訪ねて」(サムエ社刊)と。
まあ、こうした説は、日本の外では、常識。ここに書いた、「任那の日本府」(正確には「任那日本府」という)にしても、日本では、あたかも日本が韓国を支配下に置くために設置した、出先機関のような印象をもって語られている。私も、学生のころ、歴史で、そう習った。しかししかし韓国では、「ただの使途集団にすぎなかった」というのが常識。
日本の歴史辞典(「角川新版日本史事典」)ですら、「百済または伽耶が設置した機関とする説もあるが、倭国が伽耶の安羅国に送りこんだ、使臣集団とする説が有力」※と書いている。
なぜ日本が、「日本」なのか? そんなことを考えた人は少ないと思う。だいたい日本という国名を、「ニッポン」と、音読(中国式の読み方)すること自体、おかしい。なぜ日本という国名が、中国式の読み方になっているのか。日本が、「日(ひ)の本(もと)」であっても、何ら、おかしくない。それについては、岩波書店の広辞苑には、つぎのようにある。
「……大和(やまと)を国号とし、(日本はその昔)、『やまと』『おほやまと』といい、古く中国では「倭」と呼んだ。
中国と修交した大化改新頃も、『東方』すなわち『日の本』の意から、『日本』と書いて、『やまと』と読み、奈良時代以降、ニホン・ニッポンと音読するようになった」と。
中国では、「東方にある国」という意味で、「日本」と書いて、「やまと」と呼んでいたというのだ。
(マルコポーロの時代には、中国では、日本は、「Chipangu」(「東方見聞録」)と呼ばれていたらしい(日本大百科事典)。「日本国」を、元の時代には、そう発音したらしい。通説では、それが「ジパング」となり、さらに「ヤーパン(JAPAN)」となり、英語式の発音で、「ジャパン」となった。ただしこれについては、諸説が氾濫している。
ここに書いたように、「ジパング」が、Japanとなったという説のほか、「日本」を、南シナで「Jipenguo」と呼んでいたのが、Japanとなったという説などがある。)
もちろんここに書いたのは、数多くある「日本」説の中の一説にすぎない。しかしこと、この「日本」にかかわる問題だけに、重大な問題と考えてよい。
なぜ、日本が「日本」なのか? 考えれば考えるほど、謎が深まる。
(注※)(任那の日本府)……任那日本府は、倭国(日本の前身)の属領もしくは貢納国であり、任那地域に一定の経済利得権(おそらく製鉄の重要な産地があった)を持っており、事実上の属領であったと考えられていた。
しかし、1960年代ごろから、大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国で研究が進み、また日本でも1970年代ごろから新たな視点から再検討が行われた結果、ヤマト朝廷の任那支配は疑問視されるようになり、任那日本府については、倭と関連する集団(倭臣、倭人集団)が、任那地域に一定の経済利得権を持っていたとする説が有力となっている。
近年、日本特有の墳墓であるとされていた前方後円墳が、任那に相当する地域から相次いで発見され、その関連性が指摘されている(以上、ウィキペディア百科事典)。
(注※)「伽耶※(かや)」の「耶」は、人偏に、「耶」の字。
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【付記】
日本と韓国の歴史を比較していて興味深いのは、日本では、「献上」となっているところが、韓国では、「下賜」となっていることが多いということ。
たとえば日本の歴史で、「朝鮮の使節団が、天皇に宝物を、献上した」というような部分が、韓国の歴史では、「日王(=天皇)に下賜した」となっているなど。
考えてみれば、当時の朝鮮(百済、任那、新羅、高句麗)が、日本の天皇に頭をさげなければならない理由など、どこにもない。当時の上下関係からすると、「下賜」のほうが正しいということになる。
私はそのことを、韓国の慶州へ行ったときに知った。バスの窓から、巨大な古墳群が、まるで海の波のようにつながっているのを見たときのことである。私はそのスケールの大きさに、ただただ圧倒された。
このことからだけでも、どちらが「上」か「下」かということになれば、明らかに、日本が、「下」。当時の上下関係を、今ここで論ずること自体、おかしい。