【今朝のニュースから】
●奨学金
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「貸す」のではなく、「与える」のが、
奨学金ではないのか?
日本の奨学金制度は、どこか、おかしいぞ!
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子どものいる家庭にとって、教育費の負担は、相当なものである。「負担」というより、「負担感」と言ったほうが、正確かもしれない。とくに、「幼稚園と大学段階の負担感が、もっとも大きいとされる」(時事通信)。
そのため、今度、文科省は、「返還分を所得控除対象とするなどの税制上の対応を求め、卒業後の返還を支援することとした」という。
わかりやすく言えば、奨学金を返還する際、その分は、所得分から控除されるという。が、しかしそんなことで、負担感が、本当に軽減されるのだろうか? 借金は、借金として、そのまま将来にわたって、残る。
「奨学金」といえば、つまり欧米で、「スカラシップ」といえば、「ただ金」をいう。しかもそういう制度が充実していて、アメリカでも、オーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通っている学生など、さがさなければならないほど、少ない。
カラクリは、こうだ。
各企業や団体は、奨学金として、返済不要の奨学金を、学生に提供する。しかしその分だけ、つまり奨学金として提供した分だけ、各企業や団体は、税控除を受ける。わかりやすく言えば、「国に税金を払うくらいなら、学生に奨学金として払った方が、得」という考え方をする。
各企業や団体にとっても、大きなメリットがある。優秀な学生に、前もって、ツバをつけておくことができる。
日本の奨学金制度は、基本的な部分で、まちがっている。
(1)貧しいから払うという発想ではなく、払う価値のある学生に、無償で与えろ。
日本の教育には、おかしな平等主義がはびこっている。もともとその能力も意欲もない学生に対してまで、奨学金を貸与している。そしてその学生たちが、日本の将来を考え、奨学金を貸与してくれる国に感謝しているかというと、そういうことはない。
大半(私の印象では、80%以上)は、奨学金を、遊興費に回している。あるいはアルバイトで得るお金の不足分として、利用している。
今年度の奨学金貸与人員は109万人と、10年前の2倍以上にもなっている。事業費は96年度の約2400億円から約8000億円に増加しているという(時事通信)。単純に計算すれば、8000億円÷109万人で、1人あたり、73万4000円となる。
この額を多いとみるか、少ないとみるか、意見は分かれる。73万円といえば、遊興費としては、じゅうぶん。しかし学費としては、絶対的に少なすぎる。73万円で、どうして大学へ通うことができるのか?
なおアメリカでもオーストラリアでも、子どもたち(高校生たち)は、どこの大学へ入学するかということよりも、どこでどのような奨学金を得るかを、問題にする。たいていは、学校の学校長や教師にその推薦権があり、高校での成績や、その子どもの能力、やる気をみて、学校長や教師が推薦文を書く。
学校長や教師にしても、必死である。へたに、おかしな学生を推薦してしまったりすると、次回から、その推薦権を取り消されてしまう。つまりその分だけ、その学校の評価がさがってしまう。
もちろん奨学金といっても、ハンパな額ではない。たいていはそれだけで、学生生活のすべてをまかなえるほどの額である。が、中には、足りない学生もいる。そういう学生は、銀行で、(銀行で、だぞ!)、自ら借金をして、それを補う。
だから学ぶ学生も、必死! 東大のT名誉教授は、HPの中で、こう書いている。「アメリカなどでは、休み時間になると、教授室の前にズラリと学生が並ぶ。こういう光景は、日本では、見たことがない」と。
自分の体を削りながら、大学へ通う……。そういう精神があるから、アメリカの大学生たちは、よく学ぶ。私の二男でさえ、大学生のとき日本へ帰ってきて、こう言った。
「アメリカでは、大学生が、アルバイトをするなんて、考えられない。そんな時間は、ない」と。
日本の奨学金制度は、基本的な部分で、おかしい。現在、官僚たちが、天下りするために使う持参金(?)が、裏金まで含めると、年間、10兆円にもなるという。もし10兆円もあるなら、全国、200万人の学生に、500万円の奨学金の奨学金を、無償で与えることができる。400万人の学生に、250万円の奨学金を無償で与えることができる。
どうしてそういうふうに、そういうところで、お金を使わないのか?
「貸与(貸し与える)」ではなく、「供与(ただでくれる)」にする。それが奨学金の基本的な性格ではないのか。「貸与」なら、何も、文科省がしなくても、銀行に任せればよい。事実、アメリカでは、そうしている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 奨学金制度 日本の奨学金)
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6年前に書いた原稿を
添付します。
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●本末転倒の世界
「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。それにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。
そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。
1997年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後のめんどうを、あなたはみるか」と。それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%!
この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。さらに東南アジアの若者たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。このことからもわかるように、若者たちのドラ息子化は、ますます進行している。
一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均27万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。
が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている! 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。
もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。何をいまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるいはブランドだけで、大学を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新聞の投書)。
こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。
「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけでも、月に4万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。
(補記)親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。月平均になおすと、約26・6万円。毎月の仕送り額が、平均約12万円。そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均年収は1005万円。自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万円。1999年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
大学生の親、貧乏盛り
少子化? 当然だ!
都会へ今、大学生を1人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均11万7000円(99年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。が、それだけではすまない。
アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に40〜50万円はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インターネットも常識。
……となると、携帯電話のほかに電話も必要。入学式のスーツ一式は、これまた常識。世間は子どもをもつ親から、一体、いくらふんだくったら気がすむのだ!
そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学生、親、貧乏盛り」と言う。大学生を二人かかえたら、たいていの家計はパンクする。
一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も税法上の控除制度があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。しかも、だ。日本の対GNP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに少ない。
欧米各国が、7〜9%(スウェーデン9・0、カナダ8・2、アメリカ6・8%)。日本はこの10年間、毎年4・5%前後で推移している。大学進学率が高いにもかかわらず、対GNP比で少ないということは、それだけ親の負担が大きいということ。
日本政府は、あのN銀行という1銀行の救済のためだけに、4兆円近い大金を使った。それだけのお金があれば、全国200万人の大学生に、一人当たり200万円ずつの奨学金を渡せる!
が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育というのはそういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」への隷属意識は、世界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(たた)き込まれている。
いまだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている!日本人のこの後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育を、あくまでも個人的利益の追求の場と位置づけている。
世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と考えている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こういう冷淡さが積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中する。
日本の教育制度は、欧米に比べて、30年はおくれている。その意識となると、50年はおくれている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。「こんなところで、子どもを育てたくない!」と。「こんなところ」というのは、この日本のことをいう。彼には彼なりの思いがいろいろあって、そう言ったのだろう。が、それからほぼ30年。この状態はいまだに変わっていない。もしジョン・レノンが生きていたら、きっとこう叫ぶに違いない。「こんなところで、孫を育てたくない」と。
私も3人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであろう孫のことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかない。