●ゆとり教育
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ときとして外国から日本を
ながめたほうが、日本のことが
よくわかる。
日本の(ゆとり教育)が始まった
とき、それをまっさきに喜んだ
のが、隣の韓国。
そして今回、その(ゆとり教育)が
見直されることになった。
それにもっとも危機感を抱いて
いるのも、隣の韓国という
ことになる。
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●東亜N報の記事より
まず、韓国の東亜N報が、書いている記事をそのまま紹介する。日本の実情を、かなり客観的にながめている。興味深い。参考になる。
+++++東亜N報(10・29日より)++++++++
日本の中央教育審議会(中教審)は、中間報告書で、ゆとり教育が難関にぶつかった原因を分析し、「授業時間を大幅に削減したため、基礎知識を十分に習得できなくなり、思考力と表現力も育てることができなかった」などの反省項目を列挙する予定だ。
中教審は96年から、思考力や表現力、思いやりなど、「生きていく力」を育成することを公教育の目標として提唱してきた。
02年から施行された現行の学習指導要領は、詰め込み主義教育を改善するという名分によって、小中学校の学習内容を以前より約30%削減し、授業時間も約10%減らした。
中間報告書の反省項目には、授業時間の削減のほかにも、△「生きていく力」の概念と必要性を教師と父兄に十分に説明できなかった、△子どもの自主性を尊重したことで、学生指導をためらう教師が増えた、△家庭と地域の教育能力が低下している事実を十分に把握できていなかったという内容などが含まれるもようだ。
中教審は、ゆとり教育が難関にぶつかった原因の一つとして、「ゆとり」を強調しすぎたため、教師が、基礎知識を教えることまで詰め込み主義教育と誤って理解した点を挙げた。
文科省が提出し、中教審が現在審議中の学習指導要領改正案は、英語、国語、数学などの主要科目の授業時間を10%増やし、選択科目を大幅に縮小する内容を盛り込んでいる。
文科省は、このように事実上ゆとり教育を廃棄する方向に政策を旋回しながらも、公式的には「ゆとり教育の理念は間違っておらず、運用上の問題にすぎない」と主張している。
にもかかわらず、諮問機構である中教審が「反省文」を発表するのは、誤った点を具体的に説明しなければ、一線の学校が教育政策を転換する理由を十分に理解できないと判断したためだ。
+++++++++以上、東亜N報記事より+++++++++++
ゆとり教育が始まったとき、おおむね、教科内容は、1年レベルがさがった(小学校)。楽といえば、楽。教えるのが、ほんとうに楽になった。
しかしそれも、2年はつづかなかった。3年目に入ると、それが(当たり前)になり、教える側からすると、その(楽)が消えた。
が、私の教室では、今でも、ゆとり教育の始まる前のカリキュラムで教えている。たとえばかけ算にしても、小2の夏休み前から、教えている。が、ゆとり教育では、10月から教えることになっている。小2の算数だけを見ても、3〜4か月、後回しになったということになる。
で、その(ゆとり教育)が見直されることになった。当然である。日本を包む国際環境がきびしさをます中、それに逆行する形での(ゆとり教育)である。当時の韓国は、「これで日本を追い抜かせる」と喜んでいた。
が、それでほんとうに子どもたちに(ゆとり)ができたかというと、それは疑わしい。たとえば私立中・高学校では、文科省の示すカリキュラムを無視した授業が始まるようになった。
現にこのあたりの私立中学校では、英語にしても、公立中学校よりも、6か月から1年、先取りの教育を展開している。数学にしても、そうだ。(中学1年生で、関係代名詞の勉強をしているところもあるぞ!)
それまではというと、私立中・高校は、公立中・高校の受け皿的な存在だった。が、今は、完全に逆転している。公立中・高校が、私立中・高校の受け皿的な存在になってしまった。つまりその分、受験競争がはげしくなった。子どもたちは、小学4、5年制から、進学受験予備校に通うようになった。
文科省のおかしな制度いじりが、(東京という中央では、それなりにうまく機能していたのだろうが)、地方の教育を、今、こうして混乱させている。まずもって、文科省は、それに気づくべき。反省すべき。
さらに学校の教師にしても、忙しさのあまり、悲鳴をあげている。それについて書いた原稿が、つぎのもの。
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●忙しくなる、教師の世界
私たちが中学生や高校生のころには、先生には、「空き時間」というものがあった。たいてい、1時間教えると、つぎの1時間は、その空き時間だった。
その空き時間の間に、先生たちは、休息したり、本を読んだり、生徒の作品を評価したり、教材を用意したりしていた。
しかし今は、それが、すっかり、様(さま)変わりした。
このあたりの小学校でも、その「空き時間」が、平均して、1週間に、1〜2時間になってしまったという(某、小学校校長談)。
だから今では、平日、学校の職員室を訪れても、ガランとしている。先生の姿を見ることは、めったにない、
「いわゆる企業や工場の経営論理が、学校現場にも及んでいるのですね。少人数による、習熟度別指導をする。2クラスを3人の先生で教える(2C3T方式)、さらには1クラスを、2人の先生で教える(TT方式)が、一般化し、先生が、それだけ足りなくなったためです」と。
この結果、再び、詰めこみ教育が復活してきた。先生たちは、プロセスよりも、結果だけを追い求めるようになってきた。が、問題は、それだけではない。
余裕がなくなった職場からは、先生どうしの交流も消え、そのため、「精神を病む教師が続出している」(同)という。とくに忙しいのは、教頭で、朝7時前からの出勤はあたりまえ。さらにこのところの市町村合併のあおりを受けて、制度や、組織、組織の定款改革などで、自宅へ帰るのは、毎晩、7時、8時だという。
何でもかんでも、学校で……という、親の安易な姿勢が、今、学校の先生たちを、ここまで追いこんでいるとみてよい。教育はもちろん、しつけから、家庭指導まで……。たった1〜2人の自分の子どもでさえ、もてあましている親が、20〜30人も、1人の先生に押しつけて、「何とかしろ!」はない。
さらに一言。
1995年前後を底に、学習塾数、塾講師数ともに減少しつづけてきたが、それがここ2000年を境に、再び、上昇する傾向を見せ始めている(通産省・農林通産省調べ)。進学競争が、激化する様相さえ見せ始めている。
私の周辺でも、子どもの進学問題が、数年前より、騒がしくなってきたように感ずる。さて、みなさんの周辺では、どうであろうか?
(はやし浩司 空き時間 2C3T 習熟度別指導 TT 指導システム 激化する進学熱 進学指導 詰め込み教育)
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バネというのは、ゆるめるのは簡単。しかし一度ゆるんだバネは、もとには戻らない。あるいは戻すのに、何倍もの時間と努力が必要。「主要科目の授業時間を10%増やし、選択科目を大幅に縮小する内容を盛り込んでいる」というが、そうは、うまくいくものか?
教育というのは、20年先、30年先を見ながら組み立てる。今、改革しても、その効果が現れるのは、20年後、30年後。
文科省の改革(?)は、どれも後手後手という感じがしないでもないのだが、そう思うのは、はたして私だけだろうか。