●内助の功?
+++++++++++++
「夫は仕事、妻は家庭」という
おかしな男尊女卑思想が、音を
たてて崩れはじめている。
よいことだ。
+++++++++++++
このほど内閣府のした調査結果によれば、つぎのようだったという(産経新聞・9・29、07)。
++++++++
「夫は仕事、妻は家庭」との日本の伝統的な家庭観に対する「反対派」が、この質問が始まった昭和54年以来、初めて5割を超えたことが29日、内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」でわかった。
「(女性は)子供ができても職業を続ける方がよい」……43・4%(過去最高)
「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきか」……「賛成」「どちらかといえば賛成」……44・8%。(平成16年の前回調査から0・4ポイント減った)
「反対」「どちらかといえば反対」……52・1%だった。
「子供を持つ必要はない」「離婚容認」……男性は賛成50・7%、反対46・2%。女性は賛成39・9%、反対56・9%。
「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」……反対は59・4%(8・1ポイント増)、36・8%(4・6ポイント減)。
「相手に満足できないときは離婚すればよい」……反対が47・5%(7・4ポイント増)、46・5%。
調査は、今年7〜8月、全国の成人男女5000人を対象に実施した。回収率は62・4%。
内閣府は「夫や妻が、当事者同士だけではなく子供や家族を重視するようになっているのではないか」と話している。(かっこ)内は、平成16年、前回調査結果との比較。
+++++++++
この記事に関して、
以前書いた原稿を
添付。
+++++++++
日本の常識、世界の非常識(2)
● 「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ一九歳の舞妓を、「仕事のこやし」と称して、手玉にして遊ぶこともできる。
● 「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。
● 「森Sのおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向がある。
●「かあさんの歌」論……窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。
● 「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用いられた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約二三%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。
●
※……全国家庭動向調査(厚生省九八)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」という考えに反対した人が、二三・三%もいることがわかった。
+++++++++++
●おふくろさん論
森Sが歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし……。
日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たちは、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。
こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男児)がいた。
生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着はもちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、教室に戻ってきたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこともできない。できないというより、じっと待っているだけ。
多分、家でそうすれば、家族の誰かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになってしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。
それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭では、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え方が徹底している。こんなことがあった。
一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこと。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてきた。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるのよ。じゃましないでね」と。
子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させること」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどうだろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、それである。
たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。
私「この問題をやりなおしなさい」
子「ケシで消してからするのですか」
私「そうだ」
子「きれいに消すのですか」
私「そうだ」
子「全部消すのですか」
私「自分で考えなさい」
子「どこを消すのですか」と。
実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。
さて森Sの歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。