●勇気
+++++++++++++++
昨夜、コンビニの前を通ると、
小さなサイフが落ちていた。
イヤ〜ナ気分だった。
私はそれを拾うと、自転車の前の
かごに入れた。
途中、信号待ちのところで、サイフを
開いてみると、何枚かのカードが
入っているのが、わかった。
住所と名前が書いてあった。
イヤ〜ナ気分だった。本来なら、
そのままコンビニの店員に渡すべき
だった。
悶々とした気分。
「もらっちゃえ」と言う、自分。
「落としたヤツが悪いんだ」と言う、自分。
そんな自分が、そこにいた。
そんな自分を感じながら、家に着いた。
ワイフがそこにいて、「お帰り!」と
声をかけてくれた。
明るい声だった。
私「サイフを拾っちゃった」
ワ「どこで?」
私「あの○○のコンビニの前」
ワ「……」
私「名前と電話番号が書いているから、
そこへ電話して!」
ワ「うん」と。
あとの処理は、ワイフに任せた。
いくら入っているかは、見なかった。
知りたくもなかった。
かばんをかけて、書斎へ入るとき、
振り返ると、ワイフは、どこかへ
電話をかけていた。
よかった……。
夜、床についてから、私は、ワイフに
こう言った。
「サイフを拾うたびに、いまだに迷う。
子どものころの、あの邪悪な小ズルサ、
それが、いまだに、ぼくの心の中で生きている。
ぼくが子どものころには、拾ったお金は、
そのまま自分のものになった。
ぼくはそういう時代に生きていた」と。
+++++++++++++++
ほかのことでは迷わない私でも、どういうわけか、拾ったお金については、そうではない。迷う。私が子どものころには、終戦直後ということもあって、拾ったお金は、拾った子どものものだった。当時は、そういう時代だった。
モラルもルールも、なかった。親たちにしても、食べていくだけで、精一杯。家庭教育の「か」の字もないような時代だった。
だから今でも、迷う。「返そう」という自分と、「もらっちゃえ」という自分。その2人が、自分の中で、はげしく対立する。一度、心にしみついた(汚れ)は、そう簡単には消えない。昨夜もそうだった。
で、ここに書いたように、今回は、処理は、ワイフに任せた。数年前にも一度、同じようにコンビニの前で拾ったことがある。そのときは、コンビニの店員に届けた。しかし今回は、自転車のかごに入れて、もち帰ってしまった。
つまり、このあたりに、私の善人としての限界がある。が、限界といっても、このところ、輪郭(りんかく)が、ぼやけてきた。以前は、コンクリートの壁のようだったが、今は、木の柵のようになった。簡単に乗り越えられる。
おかげで、今朝は、どこかすがすがしい。さわやかな気分。心の中で、掃除機をかけたような気分といってもよい。それに少しだが、自分に自信がついた。
世の中には、こわいものはいくらでもある。子どもたちは、「お化け」「幽霊」というが、それもそうかもしれない。
しかしほんとうにこわいのは、自分自身である。自分自身の中に潜む、邪悪な自分である。この邪悪な自分に毒されると、人生そのものを無駄にしてしまう。前にも書いたが、「今、生きている」という、その一時(いっとき)一時の時間ほど、貴重な財産はない。その財産を、無駄にしてしまう。
その邪悪な自分と戦うためには、勇気がいる。どういうわけだか、勇気がいる。しかしその勇気を実感したとき、それが今度は、喜びに変わる。ここに書いた、「自信」も、そこから生まれる。
「よかった!」と思ったところで、この話は、おしまい。今日(8月31日)も、始まった。
みなさん、おはようございます!