●心を病む教師
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2005年度にうつ病などの精神疾患
で休職した公立小中高の教職員の数は、
前年度比で、619人ふえ、過去最多
の4178人にのぼったことが、
12月15日、文部科学省の調査で
わかった。
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6年前に、こんな原稿を書いた。
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●受験競争の魔力
受験競争に巻き込まれれば巻き込まれるほど、子どもはもちろんのこと、親もその住む世界を小さくする。この世界では、勝った負けたは当たり前。取るか取られるか、蹴落とすか蹴落とされるか……。
教育とは名ばかり。その底流では、ドス黒い人間の欲望がはげしくウズを巻いている。ある母親は受験どころか、子ども(中学生)がテスト週間を迎えるたびに病院通いをしていた。
いわく「テスト中は、お粥しかのどを通りません」と。子どもの受験競争が高じて、親どうしがいがみあう例となると、まさに日常茶飯事。幼稚園という世界でも、珍しくない。現に今、言ったの言わないのがこじれて、裁判ザタになっているケースすらある(小学校)。さらに息子(中3)が高校受験に失敗したあと、自殺をはかった母親だっている!
こうした狂騒は部外者が見ると、バカげているとわかるが、当の本人たちはそうでない。それはまさしく命がけ、血みどろの戦い。もっともこうした戦いが親の世界だけでとどまっているならまだしも、子どもの世界まで巻き込んでしまう。さらに学校という教育の世界まで巻き込んでしまう。
この受験競争だけが原因とは言えないが、そのため心を病む教師はあとを断たない。東京都の調べによると、東京都に在籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から四年間は毎年210人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・九九年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。
この数字は全休職者の約52%にあたる。(全国データでは、96年度は休職者が4171人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。
何だかんだといっても、受験が教育の柱になっている。もしこの日本から、受験という柱を抜いたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育ですら崩壊する。問題はなぜ受験が教育の柱になっているかだが、それについては別のところで考えるとして、結論から先に言えば、受験が子どもや親を大きくする要素などどこにもない。仮にそれに打ち勝ったとしても、「何とかうまくやった」というあと味の悪さが残るだけ。
受験競争は決して教育ではない。そういう前提で、一歩退いてつきあう。そういう冷静さがあなたの心を守り、あなたの子どもの心を守る。
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文科省は、心を病む教師がふえた理由として、「多忙や保護者、同僚との人間関係など、職場の環境が年々きびしくなっていることが背景と考えられる」(中日新聞)としている。
調査結果によると、病気による休職者は、前年比709人増の、7017人。このうち精神性疾患による休職者は、13年連続で、前年度より17%ふえた。病気休職者全体に対する割合も、1996年度の37%から60%にふえている。
が、私の印象では、こうした数字は、まさに氷山の一角。実際の数、つまり、内緒で通院、治療を繰りかえしている教師まで含めると、少なくとも、この5倍はいるとみてよい。もちろん程度の差もある。
まさに教師受難の時代というわけだが、「職場の環境がきびしくなった」というよりは、教育制度そのものが、制度的限界に近づきつつあるとみるのが正しいのではないのか。教育とは名ばかり。雑事、雑事の連続で、教育どころではないというのが、教師たちの本音ではないのか。その煩雑(はんざつ)さは、おそらく教育に携わったものでなければ、わからない。30人の子どもがいれば、30人分の問題がある。私塾なら、最終的には、「やめろ!」「やめる!」という別れ方ができるが、公立学校では、それもできない。
教師たちは、袋小路の奥の奥まで追いつめられる。その結果が、「4178人」という数字である。
しかしあえて言うなら、まだ公立学校の教師は恵まれている。そういう状態になっても、職場と収入は、確保されている。安心して治療に専念できる。仮に退職勧告が出されたとしても、無視すればよい。通院証明さえあれば、5年でも、10年でも、少なくとも収入だけは確保される。
今、教師の仕事はたいへんだと、私も思う。思うが、そんなわけで、私は、あまり同情しない。学校の先生たちと話していると、みな、そのきびしさを訴える。しかしそういう話を聞きながら、私はいつも、こう思う。「私のほうが、ずっと、きびしい」「民間企業に働く労働者のほうが、もっときびしい」と。
そこでもし、こうした問題を本気で解決しようとするなら、学校制度そのものを変革させるしかない。教師を雑務から解放させ、教育だけに専念できるような制度を用意する。欧米では、とっくの昔にそうしているのだから、この日本だけができないということはないはず。
何でもかんでも引き受けてしまうから、教師にそのシワ寄せが集まる。そういう制度そのものが、限界にきているとみてよいのではないだろうか。
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ついでに6年前の
同じころに書いた原稿を、
もう1作。
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●10%のニヒリズム
テレビの人気ドラマに「三年B組金八先生」というのがある。まさに熱血漢教師のドラマだが、実際にはああいう教師はいない。それはちょうどアクションドラマの中で、暴力団と刑事がピストルでバンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、現実にはありえない。
仮に金八先生のような教師がいたとすると、その教師はあっという間に、身も心もボロボロにされる。第一、この世界には内政不干渉の原則というのがある。いくら問題が家庭におよんでも、教師は家庭問題までクビをつっこんではいけない。またその権利もなければ義務もない。つっこんだらつこんだで、たいへんなことになる。おおやけどをする。私にもいろいろな経験がある。
私はある時期、毎日のように母親教室を開いていた。が、それがよくなかった。ある朝まだ床の中で眠っていると、一人の男がいきなり飛び込んできて、こう叫んだ。「うちの女房が妊娠した。どうしてくれる!」と。
寝耳に水とはまさにこのこと。私が驚いていると、その様子から察したのか、その男はこう言った。「すまんすまん。カマだった」と。話を聞くと、その男の妻がその前夜から家出をしたという。そこでその男は、妻がよく口にしていた私のところへ逃げてきたと思ったらしい。
その妻というのは、私の母親教室の熱心な受講生だった。以来私は、毎日の母親教室を、週一回に減らした。同時に、子どもの子育ての問題以外、「私は関係ない」という姿勢を貫くようにした。
こうしたトラブルは、本当に多い。毎年少しずつ賢くなったつもりだが、つい油断をすると、同じような失敗を繰り返かえす。そこで10%のニヒリズムということになる。昔、どこかの教師が懇談会の席でそう教えてくれた。
「どんなに教育に没頭しても、100%、全力投球してはいけない。最後の10%は自分のためにとっておく。裏切られてもキズつかないようにするためだ」と。
実際、この世界、報われることよりも、裏切られることのほうが多い。10%のニヒリズムは、そのための処世術である。