●親が子育てできなくなるとき
●親像のない親たち
「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴えた父親もいた。
あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力そのものがない母親すらいた。また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、不幸にして不幸な家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。つまりいわゆる「親像」のない人とみる。
●チンパンジーのアイ
ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが九八年の夏、一度妊娠したことがある。が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育てができるかどうか」(新聞報道)だった。
人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわんや、人間をや。
●子育ては学習によってできる
子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」という体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団体から、猛烈な抗議が殺到する。
先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を書いただけでその翌日、一〇本以上の電話が届いた。「離婚についての偏見を助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結婚はできないのか」など。「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。私は何も離婚が悪いとか、離婚家庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚として問題になるのは、それにともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのことを主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に見なければならない。
●原因に気づくだけでよい
これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決したとみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分は解決したとみる。それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の人は、ある作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。
●幸福な家庭を築くために
……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せておかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てができるようになる。
と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかっていても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、一つの努力目標と考えてほしい。
(付記)
●なぜアイは子育てができるか
一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そのアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(二〇〇一年春)。これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、ビデオを見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をしたからだと説明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。
アイは確かに人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によって、まさに人間の子どもとして育てられている。アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。
(参考)
●虐待について
社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じている母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。
また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているのがわかる。
一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。
●ふえる虐待
なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年までの八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)
虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五三%)でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。
Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司
仕事で家族が犠牲になるとき
●ルービン報道官の退任
二〇〇〇年の春、J・ルービン報道官が、国務省を退任した。約三年間、アメリカ国務省のスポークスマンを務めた人である。理由は妻の出産。「長男が生まれたのをきっかけに、退任を決意。当分はロンドンで同居し、主夫業に専念する」(報道)と。
一方、日本にはこんな話がある。以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪われた」と訴えた男性がいた。東京に本社を置くT臓器のK氏(五三歳)だ。いわく「東京から名古屋への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、さまざまな苦痛を受けた」と。単身赴任は、六年間も続いた。
●家族がバラバラにされて、何が仕事か!
日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも、「勉強する」「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。仕事第一主義が悪いわけではないが、そのためにゆがめられた部分も多い。今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」と暴言を吐く夫は、いくらでもいる。その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授が、私にこう聞いた。「日本では単身赴任に対して、法的規制は、何もないのか」と。私が「ない」と答えると、周囲にいた学生までもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と騒いだ。
さてそのK氏の訴えを棄却して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような判決を言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えていない」と。つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。もう何をか言わんや、である。
ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言った。「あなたはミスターママになるが、おむつを取り替えることができるか」と。それに答えてルービン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。
●落第を喜ぶ親たち
日本の常識は決して、世界の標準ではない。たとえばこの本のどこかにも書いたが、アメリカでは学校の先生が、親に子どもの落第をすすめると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。親はそのほうが子どものためになると判断する。が、日本ではそうではない。軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。こうした「違い」が積もりに積もって、それがルービン報道官になり、日本の単身赴任になった。言いかえると、日本が世界の標準にたどりつくまでには、まだまだ道は遠い。